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晴れときどき薔薇の雨

カトリック信者による信仰生活体験日記

洗礼名について

洗礼準備

一般的な洗礼名の選び方として、「自分の誕生日」や「ゆかりの日」の聖人から頂く、という方法があります。

一年間にはほぼ全日誰かしらカトリックの聖人の記念日が存在するので、自分の誕生日が記念日の聖人もいます。

ちなみに私は男性の聖人が自分の誕生日の聖人でした。

男性名でも、例えば「ヨハネ」を「ヨハンナ」と女性名にして女性の洗礼名に選ぶこともできるようです。でも、自分の誕生日の聖人はあまりピンと来ませんでした。そこからが私の洗礼名選びの旅。

私は自分の洗礼名に頂いた聖人を、自分の信仰生活の模範と仰ぎたい気持ちが強かったので、とにかく親しめる聖人を探しました。「こんな人になりたい」と思える聖女。

一方で、やはり「名前」なので、実用性も考えていました。

以前の記事でも書きましたが、実用面では以下の二点を私は重視しました。

・親しみやすい名前。(日本語圏で聞きなれない音のある名前はやめたい)

・各言語でそれぞれ読み方の違う名前。(各言語の読み方が様々あると楽しい)

親しみやすい名前

聖人カレンダーを見てみると、まだ馴染みのない人にはよくわからない名前が並んでいると思います。

例えば「ボヘミアプラハ)の聖アグネス」。「(プラハ)」って何? この聖人を洗礼名に授かりたいとき、果たしてどう名乗ればいいのか。また、「聖フェリチタス殉教者」を望んだとして、どこまでが洗礼名になるのか。「フェリチタス」のみでこの人を特定したことになるのか、「フェリチタス殉教者」まで必要なのか。それとも「聖」も頭に付けないとダメなのか。「神のお告げ」って、そのまま名乗るの?

 

よくわかりませんよね。

世俗離れした表記になると、例えば「聖○○○おとめ」。「おとめ」って何。これも洗礼名に加えるべきか否か。「教会博士」などは授かった称号と思われるけど、これを信者が「私の洗礼名の一部だから」と名乗っていいのか。「司教」とか「教皇」とか。これ洗礼式で呼ばれるとすごく辛い気持ちになりそうだ。

ちなみに我が聖テレーズは「聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士」と書いてあります。

「(幼いイエスの)」って何。日本語文化の中で読むとこの名前「おとめ」は「女」の意味で、つまり「女博士」という意味かと間違え兼ねない。

更に仰天することに、何やら本格的なカトリック用語による表記らしきものを見ると「マリア・マグダレナ・パッチ童貞」などと書いてある。Virginを尊ぶカトリックならではの、おそらく、「敬称」。しかし日本文化を土壌に育った人には相容れない感覚です。

私は、カトリックを土壌とする文化に馴染むのが遅いため、「童貞マリア」と聞いて「なんと尊く神々しい!」と自然に感じるには時間が必要でした。そこでつまずくと、その聖人がどんな人生を生きて列聖されるに至ったか、知ろうという意欲まで繋がらない。

どんなに立派な人でも「エウジェニ・スメット」という男性名か女性名かもわからない未知の名前が出て来ると、興味をかきたてられるのは難しい。どうしても「マリア」「ベルナデッタ」「クララ」といった馴染みのある名前のほうに興味を持ちやすい。

私は結局、親しみやすい名前をしている聖女の事しか頭に入りませんでした。

各言語でそれぞれ読み方の違う名前

ラテン語の「マリア」は、英語「メアリー」、フランス語「マリー」、イタリア語「マリーア」のように、各言語ごとに読み方/表記が異なる。それが羨ましかった。日本人の名前は、それが感じならば、同じ文字を外国語で読んでもらうとしたらほぼ中国語オンリーとなる。ラテン文字の変化は羨ましい。

また、私の洗礼名候補「マリア・マグダレナ」は、地名と思われる「マグダレナ」が変化して女性の名前としてポピュラーになっているのが面白かった。「マデリーン」「マッダレーナ」「マドレーヌ」等。ハリウッドの大女優「マレーネ・ディートリッヒ」の「マレーネ」もその仲間だという。「マグダ」という愛称で呼ばれる登場人物が出て来ると、嬉しくなった。

そのように、異文化に興味を持つきっかけになったり、世界の「マリア・マグダレナ」を探してどんな人たちか知る等、なかなか楽しい勉強に繋がるのではと考えた。

私は「マリア・マグダレナ」にはならなかったけど、代わりに「テレーズ」が気になる。どんなテレーズだろうかと気になる。

メジャーな名前の良さはそこだと思う。私はカルメル修道会の付属教会で受洗したので、カルメル会の聖人は身近な存在だ。カルメル会の聖人にも修道女にも「テレジア」はたくさんいる。

リジューの聖テレジア」を通して、私は「アヴィラの聖テレジア」へ理解を深め、「十字架のテレサ・ベネディクタ」も身近になった。マザー・テレサもそうだ。全ての「テレジア」は、私の模範であり、親しみ深い聖人となったのだ。

余談だけど、「マリア・マグダレナ」の「地名らしきものが名前に」という認識を知らなかったので、それを面白く感じた。「マグダラのマリア」が「マリア・マグダレナ」なら、「リジューの聖テレーズ」にもラテン語読みがあるのではないかと探したりした。翻訳にかけたりした。そんな馬鹿は私だけだと思います。

更に名前の話。

私はこのブログでの名前を「マリー・テレーズ」にした。「テレジア」に「マリア」を繋げるのはポピュラーな方法であるし、聖テレーズの本名は「マリー・テレーズ」でもある。

マリア・テレジア」は神々しすぎるので避けたけど、「マリア」というお名前にも憧れた。やはり聖母の名は授かってみたいもの。聖テレーズには、聖母マリアに通じる愛があると思うから、テレーズの内にマリアはあると考えて、「マリア」を洗礼名には入れなかった。

だから、このブログでの名称は、聖母マリアへの憧れの気持ちを表しました。

テレーズが「マリー」と呼び掛けてくれたら嬉しい。

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