晴れときどき薔薇の雨

カトリック信者による信仰生活体験日記

かっ飛ばしてる

このブログ読みづらいですよね……。

もう少し物事を整理してわかりやすく書きたいと思うのですが、洗礼後で浮かれ狂っているのでしょう。止まらない。落ち着けない。

ブログの主旨としては、「自分と近い体験をしている人に、自分の体験談を例として伝えられれば」が一番強いのですが。もしかしたら、私のようにミッションスクールに縁もなく、身近にキリスト者もいないのに、キリスト者になっちゃった人、目指している人って、似たような境遇の人と知り合えなくて孤独なんじゃないかなあ、と思ったのです。私も孤独です。見知らぬどなたかよ、私も孤独です。孤独という点においては同じなのです。そんなことを、書き散らしたかった。

「浮かれている」というのは、正直言ってなんだかよくわからないからです。

洗礼の恵みは途方もなく素晴らしいものだと教わります。でも、それがどのくらい素晴らしいのか、まだまだよくわかっていない。

入門講座に行くと、やがて「祈り」を教わります。

祈りとはなんなのか。お願い事ではないそうです。「神との対話」がその本質と聴きます。

でも、私には神の声は聞こえない。ただ沈黙のうちに一方的に神に語り掛け、やがて心に平静が訪れ、我が身を省みられるようになる。自分の罪に気付き、神からはゆるされている事を知り、悔い改める。それが私にとっての「お祈り」。これでいいのか心配になります。

実態はまだよくわからない。でも、教会の神父様方や信仰歴の長い信者の方々は平和な清い顔をしておられる。そのお顔を眺めると、その心の平安と平静まで感じられる。こんなふうに心に平和のある方々のようになれたら素晴らしい。そんな思いがある。

具体的に憧れるものもあれば、途方もない知り得ない巨大なものもある。

よくわからないまま、でも幸せの予感だけは満ちている。

浮かれて止まらない。

悲しみも痛みも、どうにもならない事への嘆きもあるけど。でも、何もかもあってなお、平和がある。

もしかしたら泣き笑いなのかな。この浮かれた気持ちは。

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