晴れときどき薔薇の雨

カトリック信者による信仰生活体験日記

「分かち合い」

カトリック多摩教会の思い出を。

まるでカトリック多摩教会の回し者ですが、所属教会は全然別です。

でも、カトリック多摩教会も私の家です。神の家は皆の家。全ての人を招いています。特に、罪びとをこそ招いているそうです。中でもカトリック多摩教会は特に招いている家なので、なんとなく私も勧めやすいのです。私の所属教会もとてもいいおうちですが、私のような元「全くキリスト教初心者」より、ミッションスクール卒等ある程度キリスト教に親しみのある人の方がより親しめる教会かもしれません。まあ個々の好みによりますが。

というわけで、前説が長かったですが、「分かち合い」の思い出を。

まず、「分かち合い」ってなんぞや?

私もよくわかりません。

カトリック多摩教会で行われていた「分かち合い」は。

カトリック映画(私はヘンリー・コスター監督『聖衣』を観ました)鑑賞の後、皆で映画の感想や雑談。

・集まった人達がお互いの信仰生活や洗礼準備、洗礼経緯について語る。

この2パターンでした。なので、こういうのが教会の「分かち合い」なんだと思います。

私は人前で自分の内面を語るのが苦手、というか、今はむしろ喋りたいくらいですが、当時の私は自分のことはとにかく何も知られなくない。何かを人前で告白するために教会に行っていると考えてませんでした。なので、私自身は多分何も話さなかったです。その時考えていたことも、「モラハラ(と、その時は気付いていなかったけど)を愛し抜けたら、私には神は不要だ」とかそんな不遜極まりない愚かな内容でしたし。

そして、分かち合いの内容は個々のプライバシーなので、もちろんその場に居合わせた人同士での秘密です。

私、自分では自分の話はしなかったけど、その時に聞いた何人ものお話を、とてもよく覚えています。

いま思うと巡り合わせだったのでは、としか思えないほど、それぞれが私のいまの血肉になっているようなお話でした。

どんな信仰を生きているか。

どうやって教会に辿り着いたか。

教会にたどり着くまでどうだったから。

そういう体験談のひとつひとつが、私に「信仰とは」「神とは」を語り掛けてくれました。

私は当時洗礼を受けたい気持ちは全くなかったのだけど、話を聞くたびに神のことを好きになりました。

私の所属教会では、「分かち合い」を集まりの場としては特に公募していないかな?

信者になった後も分かち合いの機会があったら、どこの教会でも折に触れて行ってみたいと今も思います。

自分が信仰に迷った時。信仰の友の話を聞きに。

神のことを知りたいときに、神と共に生きている人達の話を聞きに。

特に「分かち合い」でなくとも、「その人がどう洗礼に至ったか」だけでも個々で違いがあり、それぞれその人らしい道をたどって洗礼に行き着いているので、すごく教えて頂くことが多いです。お互いに、そんな思いを共有すること。ただそれだけで「分かち合い」なのかも知れない。

私は、初めて教会を訪ねてから洗礼まで三年掛かりました。

洗礼志願までして、やはり取りやめて過ごした一年もありました。

こんなに迷ってばかりのみっともない人はいないのではないかと、一年悩み続けていましたけど。

でも、分かち合ったら、いろんな人がいるよ、と、教えてもらった事もありました。

とある修道士さんのお言葉ですが「その一年は、後で振り返ればとても意義深い一年ですよ」と。

マイナスだと思っていたことに、何かいいことがあるかも

そんな気付きを与えてもらったりも、します。

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