晴れときどき薔薇の雨

カトリック信者による信仰生活体験日記

モラハラ 002

モラハラ問題にはこだわっていきたい。
これで人生につまずいてる女性、いーっぱいいると思う。特殊なタイプより、普通の真面目な聞き分けの良い人が、モラハラに掴まるケースが多いと聞く。
日本で暮らしてると、女の子は「協調性」「周囲に合わせる」「和を保つ」を徹底的に仕込まれるから、モラハラな人が「きみの行動、皆の迷惑になってるよ」とか振ってくると光の速さで毒牙にかかる。それが言い掛かりでも難癖でも「空気読めないな」なんて言われると、もうダメなんだよ我々は。「え? 私の何がいけなかった?」と気にし出したら、落ちたも同然です。
その後、二度と「きみはちゃんとしてる」と認められることのない、ダメだし地獄の始まりだもの。
モラハラの人は、どうでもいいような些細な落ち度を見つけ出しては、それを大罪のように言い募って相手を責める。「きみは非常識だ」等と。
「そんな出来損ないのきみに、この俺が貴重な時間を割いて親切にしてやってる」
「なのに感謝が足りない」
「頭が高い」
「俺の思いやりと気遣いが全くわかっていない」
「なんてどうしようもない屑だ」
「自分でそう思わない? 恥ずかしくないのか。生きてて嬉しい?」
最早定型文ですね。
これを神のお言葉と比べてみましょう。
神は偉い方ですが、こんなこと(↑)仰いますかね。あり得ないですよね。
時間を割いたり、罪人に親切にして下さったり、行為の部分はキリストと似ていますが、もう根本が全く違う。
まるで愛の行為でない。
カトリック信仰があったら、これらの言葉を浴びせかけられ、生まれて来なければ良かったでき損ないと言われる事に、神からの祝福とのあまりの落差に「これはおかしい」と気付けるのではないかと思う。
「私は罪人だが。ゆるしのないあなたにも愛は存在しない。あなたには、人が付いて従うべき聖性はない。あなたが私をどう言おうと、神は私を愛して下さっているし、あなたも神から愛されている。お互いに神の大切な存在同士、互いに尊重し合いましょう」

そう言って、その人に巣食う悪霊を退けていけるのでは。
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